佐佐木英明 Eimei Sasaki
天井桟敷を代表する俳優(yōu)の一人。 そして今は三沢にある寺山修司記念館の館長。 青森県近代美術(shù)館の資料によると:佐々木英明は1948年(昭和23年)、青森県平內(nèi)町小湊に生まれる。青森高校に入學(xué)し、文蕓部に所屬したつながりから、同校出身の寺山修司を知り、深く傾倒する。高校卒業(yè)後、寺山が主宰する演劇実験室「天井桟敷」に入団。寺山修司に親炙、多くの薫陶を受ける。 1971年(昭和46年)に、寺山修司が腳本?監(jiān)督?制作をつとめた映畫「書を捨てよ、町へ出よう」では北村英明(私)役で主演し、同映畫がサンレモ映畫祭でグランプリを受賞する。 その後、同劇団の「邪宗門」などに出演後、郷里平內(nèi)に戻る。 帰郷後、寺山修司や「天井桟敷」関係者とも交流を図りつつも、本格的な詩作を行うなか、獨自のスタイルを確立する。なかでも1995年(平成7年)に発表された「修司さんへの手紙」は寺山修司へのオマージュ的性質(zhì)を保ちながら、英明詩の大きな特徴であるモノローグ的性格を持った代表作である。 同様に2008年(平成20年)に発表された、自伝的長編詩といえる「隠遁へのメタファ」の、詩全體に通底する「長い遺書」的隠喩は、寺山修司の持つ青森の風(fēng)土感、血脈に対する偏愛的嗜好を根底に持つ寺山の詩的自敘伝『地獄篇』を彷彿とさせつつ、英明詩の真骨頂であるモノローグ的手法に「青森の掃き溜め」的抒情を絡(luò)めた傑作であると同時に、新しい形の「津軽の口説き」として注目に値する。 また、アブストラクトな絵を背景に、PAを駆使した音楽や舞踏とコラボレーション、そして佐々木自らの肉聲と音聲録音を重複させ、時折津軽弁と共通語が入り交じるビジュアル化させた演劇的手法にも、文學(xué)表現(xiàn)としての獨自性を感じる。 正業(yè)を持ち、比較的寡作ながら『心を閉ざす』ほかの詩集がある。
